モスクワのCDオアシス「トランシルヴァニア」

 本エッセイ・コーナー、しばらくロシア圏とは関係ない話題が続いてしまったけど、今回はロシアネタ。ただし、またまた音楽に関連した話である。別のところに書いた雑文の使い回しだけど、ご容赦を。

 さて、音楽ファン(というかフィジカルコンテンツのファン)の私にとってはきわめて残念なことに、世界の街から、CDショップが消滅しつつある。日本はまだマシな方で、欧米では実店舗を構えてCDを売るようなことはかなり稀になっているらしい。

 ロシアの場合は、ソ連崩壊後に非合法な海賊版CD(というかMP3ディスク)が全盛となり、元々正規品のCDが店舗で売られるという文化自体が希薄だった。それでも、数年前までは、モスクワに「フセソユーズヌィ」というマルチメディア・ショップがあり、そこでロシア内外のCDが買えたのだが(それに関しては以前「モスクワで見付けた意外なメイドインジャパン」というエッセイで取り上げた)、昨今の違法配信を含めたネット配信に押され、いつの間にかフセソユーズヌィの店舗は閉鎖されてしまったようだ。ロシアに出張に行った時に、ふらっと立ち寄れるCDショップの類がないのは、寂しいことである。

 果たして、モスクワのCDショップは絶滅してしまったのだろうか? 調べてみたところ、モスクワ中心部に最後のホットスポットとでも言うべき「トランシルヴァニア」という店があることが判明した。先日のロシア出張の際に、時間を見付けて、その店を訪れてみた。店はモスクワの目抜き通りであるトヴェリ通り6/1, str.5に所在するが、表通りには面しておらず、中庭のようなところから入るので、ご注意願いたい。ウェブは、http://transylvania.ru

 訪れてみたトランシルヴァニアは、期待に違わぬ面白い店だった。すごいのはその物量で、御茶ノ水ディスクユニオンのロック館、ジャズ館、クラッシック館を合体させたくらいの迫力がある。商品は、新品も中古もあるが、たぶん外国のデッドストックみたいなものをまとめて安く仕入れているのではないか。CDのボックスセット類もかなり豊富。アナログのLPレコードもあったし、DVDの映像作品もあった。意外にも日本製のCDも多く販売されており、日本語のオビ付きなので非常に目立つ(ただし、邦楽ではなく、洋楽やクラッシックの日本製CDという意味)。商品があまり整理されていないのが惜しいが、じっくり探せば掘り出し物が見付かるかもしれない。

 ただ、私がブツを物色している間、ずっと店員が隣に付き添っていたのには閉口した。たぶん万引き防止のためなのだろうが、日本人がロシアのレコ屋で万引きなんかしないっつーの(笑)。まあ、ロシアのお店としては珍しく、店内で写真をとることを認めてくれたりして、フレンドリーな面もあったが。それから、少々残念だったのは、ロシア独自のCD作品が、それほど豊富ではないことである。クラッシック・コーナーに、ソ連~ロシアの音楽レーベルである「メロディア」のCDがちらほらと置かれていたので、私は主にそれらを何点か買い求めた。

 あと、ジャズ・コーナーで、上掲のブツと目が合ってしまった。アトランティック・レーベルのジャズアルバムCD20枚セットであり、「ロシアでアトランティック・ジャズ!」というそのありえない組み合わせに心を打たれ、ついこれも買ってしまった。ちなみに商品に貼られている「3 008」という値札シールの数字は価格ではなく、価格コードである。すなわち、ロシアはインフレや為替変動が激しい国なので(2017年こそインフレが沈静化したが)、それに合わせていちいち商品の値札シールを貼り直すのは面倒であり、この店では、「2018年1月現在、3 008は7,000ルーブル、3 009は8,000ルーブル」といった対応表を壁に貼り出していて、物価や為替が動いたらその対応表の方を改定するというやり方をとっているわけである。

(2018年4月20日)

シティ・ポップのブームに物申す

 いや~、ロシア圏とは何の関係もないのだけれど、最近ちょっと気になったこと。

 松任谷由実の『PEARL PIERCE』というアルバムがあって、この作品につきある人が、「皆さん大好き、最高傑作」というようなことを言っていたのである。個人的には、むしろ最駄作くらいに思っていたので、非常に驚いたわけである。

 その後、私が愛読している『レコード・コレクターズ』という雑誌に、2号にわたって、日本の「シティ・ポップ」特集が組まれた。3月号が1970年代編、4月号が1980年代編だった。そして、その80年代編に、松任谷由実の作品で唯一セレクトされていたのが、やはり『PEARL PIERCE』だったのである。この作品って、そんなに高く評価する向きが多いのかと、改めて首をかしげることになった。

 ひょっとしたら、自分の感性の方がおかしいのだろうか? 若い頃に比べれば、それなりに音楽のリテラシーも上がったつもりだし、それに何より、先月のエッセイで開陳したとおり、オーディオも新しくした(笑)。そこで、久し振りにユーミンのLPを引っ張り出してきて、一通り聴き直してみたのである。

 その結果、自分の評価は、全然変わらなかった。30年くらい前に心から感動し繰り返し聴いた作品はやっぱり良いし、以前「何だかなあ」と感じた作品は今聴いてもやっぱり駄目である。

 もちろん、個人的な好みの問題もあるのだろう。それから、『レコード・コレクターズ』4月号で、ユーミンの80年代作品で唯一『PEARL PIERCE』が取り上げられているのは、それが最高傑作だからというよりも、「シティ・ポップ」というカテゴリーに一番合致したからだろう。ただ、個人的に都会的な洗練されたサウンドは好きであるものの、昨今のシティ・ポップブームでもてはやされているのは、薄っぺらい無機質な感じの作風である印象を受ける。私は、スタイリッシュであっても、深い情念のこもった音楽でなければ受け付けないのだなと、今回そんなことを思った。

 私のホームページでは、以前、ユーミンさんの全アルバムの(途中までだけど)レビューをしたことがあった。そのページはもう閉鎖してしまったので、ここにそのレビューを復刻する。

(2018年3月29日)

評価

タイトル

発売年

コメント

★★★

ひこうき雲

1973

まだ荒削りだが、天才の片鱗は確かに見て取れる。

★★★★

MISSLIM

1974

本作から松任谷正隆がアレンジを手がけ、音が格段に緻密になる。古典的名曲の数々。

★★★★★

COBALT HOUR

1975

曲の良さに鉄壁のアンサンブルが加わり、ユーミン・サウンド完成。「卒業写真」が入っているので、個人的にはこれが無人島レコード。

★★★★★

14番目の月

1976

本作からプロデュースも松任谷正隆。独身最後の作品。飛ぶ鳥も落とす勢いとはまさにこのこと。独身時代の最高傑作。

ALBUM

1977

荒井から松任谷への過渡期に出た企画盤。新曲の不出来を嘆くよりも、再出発を喜びたい。

★★★★

紅雀

1978

結婚を経てここからが松任谷時代。上質な音楽であり、地味ながら隠れた名盤と位置付けたい。

★★★★★

流線型’80

1978

結婚後の最高傑作であり、ポップス史上の金字塔。曲もすごいがスコアもすごい。でも一番すごいのは歌唱かも。ジャケットも本作が一番。

★★

OLIVE

1979

前作が完璧すぎた反動か、詰めの甘い作品になった。二番煎じ的な曲が多い。

★★★★

悲しいほどお天気

1979

ひときわ音楽性の高い作品であり、アルバム全体に漂う空気感が魅力的。

★★

時のないホテル

1980

物語が過剰すぎて個人的についていけない。

★★★

SURF & SNOW

1980

人気作だが、出来は平均点といったところ。でも、オリジナル盤の帯にあった「忘れないで、ときめくホリデーを」という文句は泣かせた。

★★

水の中のASIAへ

1981

いかんせんミニアルバムなので存在感は希薄。1年に2作出すのがノルマだったの?

★★★

昨晩お会いしましょう

1981

有名曲が多いが、世評と異なり個人的にはそれほど好きではない。

★★

PEARL PIERCE

1982

これも人気作のはずだが、音が薄く、個人的に好みではない。後の音楽的低迷期を先取りしたような作品。

★★★★

REINCARNATION

1983

ベスト盤の『ノイエ・ムジーク』には本作からは1曲も収録されていないが、こちらの方が下手なベストよりよほど中身が濃い。

★★★★

VOYAGER

1983

宇宙と一体化したかのような音像がすばらしい。アルバム・コンセプトとしては最も成功している。最後の傑作。

★★

NO SIDE

1984

作品としてはなかなか作り込んであるが、閉塞的な音については評価が分かれよう。

DA DI DA

1985

個人的には、これが聞き込んだ最後のアルバム。発表当時はそれなりに楽しんだが、今思えば、このあたりがケチのつき始めだった。

我が家のホームシアター、リニューアルオープン

 このコーナーで再三申し上げているとおり、昨年暮れまで北大大学院に所属し、博士論文を書き上げた。自分なりに頑張ったので、何か自分にご褒美をと考え、オーディオシステムを大幅にリニューアルすることにした。

 これまでの私のオーディオ遍歴を振り返ると、小学校時代に買ったナショナルのラジカセはさておき、高校入学記念に親に買ってもらったステレオコンポが小さな第一歩だった。1980年のことであり、当時はまだミニコンポというものはなく、日立のLo-D(ローディ)ブランドのステレオコンポだった。昭和のお茶の間にどっしりと鎮座しているような、大きさだけは一人前のステレオだった。裕福な家ではなかったので、一番安いモデルしか買えず、最低限音は出ますという程度の代物だったが、初めてLPをプレーできるようになったことが嬉しかった。ただ、大学に入り上京し一人暮らしを始めると、さすがにもっと良い機器が欲しくなり、1985~1986年頃に当時の自分としてはちょっと背伸びをして、プリメインアンプ、CDプレーヤー、ダブルカセットデッキなどを単品で買い揃えた。そして、その当時はアナログレコードからCDへの転換が急激に進んでいた時期だったのだが、敢えてそのタイミングで結構な値段のアナログレコードプレーヤーも購入した。「今後、レコードプレーヤーはもう買えなくなるかもしれないので、一生使えるようなちゃんとした商品を買おう」と考えたのである。

 しかし、スピーカーを充実させるという発想には、あまりならなかった。自分が住んでいたのは木造アパートであり、大きな音を出せる環境ではなく、昼間に控え目な音量で聴くか、あるいはヘッドフォンで聴くというパターンだったからだ。なので、結局スピーカーに関しては、1980年に購入したLo-Dの安物コンポに付属していたものを、四半世紀以上も使うことになった。どうも、自分のオーディオビジュアルライフの半生を振り返るに、音質を極めるといったことよりも、コンテンツを蒐集したり、多様なソースに対応したりといったことに注力する傾向があるように思う。

 ただ、ベラルーシ駐在を経て、2000年代に入って鉄筋コンクリート造りの賃貸マンションに暮らすようになると、さすがに木造アパート時代よりは、少しは音を出せる環境となった。そうなると、自分のオーディオ機器のショボさを実感するようになり、また既存の機器の老朽化も顕著となっていた。他方、当時はデジタル家電ということが言われるようになった時期でもあり、自分の中で、単にオーディオ機器をアップデートするということに加えて、デジタル化への対応やAV複合化といったことへの関心が頭をもたげてきた。しかし、当時の部屋は安普請かつ手狭で、この部屋では機器を良くしてもオーディオを満喫できるとも思えなかったし、増してや大画面やサラウンドスピーカーを設置してホームシアターなどということは物理的に不可能と思われた。

 そこで、荒唐無稽に思われるかもしれないが、私はオーディオビジュアルのインフラを整備するということを主目的の一つとして、2006年に現在の家に引っ越してきたのである。この時のコンセプトとしては、デノンのAVC-4320という中級のAVアンプを中核に、オーディオもビジュアルも一体のシステムとして両立させようというものだった。オーディオに関しては、CDプレーヤーをやはりデノンの中級のDCD-1650AEに買い替えて、1つ上のステージを目指した。他方、5.1スピーカーを設置するとともに、プロジェクターとスクリーンを導入して、サラウンド音声に対応したホームシアターを構築した。

リニューアルする前のシステム

 そんなわけで、このシステムで10年あまりを過ごしてきたのだけど、映像面はともかく、音響面での物足りなさが次第に強まっていった。当初は音声も映像もサラウンドもと、全部入り的な発想でAVアンプを扇の要としたものの、しょせんAVアンプの音はピュアオーディオとは似て非なるもので、音質的に限界があるのではないかという思いが募ってきたのである。映像+サラウンド音声の体系と、ピュアオーディオのステレオ体系とを、分離したいという気持ちに傾いていった。そこで、博士号取得の自分ご褒美として、AVアンプとは別に、ピュアオーディオのプリメインアンプを導入し、AVシステム全体を、映像+サラウンド系とピュアオーディオ系とに切り離すことに決めたわけである。昨年11月、一連の機材を購入し、いったん旧システムをバラした上で、新機材の搬入、セッティング、設置、配線などの作業を集中的に行った。

旧システムをいったん解体

これが完成した新システム

 そんなわけで、完成したのが、上掲写真に見る新システムである。一見すると、ビフォアとアフターであまり変わっていないように見えるかもしれないが、新システムではピュアオーディオ系をプリメインアンプを中核としてラックの向かって右側に、ビジュアル+サラウンド系をAVアンプを中核に左側にと、それぞれほぼ独立したシステムになっている。電源も、ピュアオーディオ系は右側の壁からとり、ビジュアル+サラウンド系は左側の壁からとるという念の入れようである(笑)。また、従来はステレオ時もサラウンド時もフロントスピーカーとしてトールボーイを使用していたが、今回トールボーイはステレオに特化させることにし、サラウンドのフロント用にはブックシェルフスピーカーを新調した。ただし、ブックシェルフだけ既存のスピーカーシステムと違うのは気持ち悪いので、10年ほど前の中古モデルをわざわざ探して取り寄せた。まあ、サラウンドのフロント用に小型スピーカーを別途用意しなくても、スピーカーセレクターで切り替えてトールボーイを共通で使うことも可能なようだが、とにかく今回のコンセプトとして、2チャンネルのステレオと5.1サラウンドは別系統にしようという考えがあったわけだ。その結果、センタースピーカーも含め、目の前にスピーカーが5台も並んでいるというバカみたいなことになった(笑)。ヘビメタのコンサートかと突っ込まれそうだが、全部同時に鳴るわけではない。

スピーカーシステムはMonitor Audioブランド
統一感を保つため、あえて10年ほど前のSilver RSというシリーズで揃えた
今回買い足したブックシェルフはスタンド上に設置

以前はラックの中や上に置いていたのだけど
場所がなくなったので床に置くはめになったセンタースピーカー

5.1サラウンドに不可欠なウーハーだけど
床が響くので近所迷惑になり、あまり使っていない
たまに使うとスイッチ切るの忘れるウーハーあるある

リアスピーカーは引っ越し時に壁の中に配線するなどこだわったが
設置位置が高すぎるのか、サラウンド感が乏しく期待外れだった

新たなピュアオーディオ・システムの中核
LUXMANのプリメインアンプL-509X
一生に一度と思い、妥協なく最高級機種を買った

デノンのSACDプレーヤーもまだまだ現役なのだが・・・

10年前の中級機ではLUXMAN L-509Xには釣り合わないような気がして
今回プリメインに合わせ、LUXMAN D-05Uを購入
ただ、デノンも手放すに忍びなく、CDプレーヤーが2台並ぶヘンタイ配置に

最近まで使っていた、1980年代半ば購入のケンウッドのレコードプレーヤー
まだ使えることは使えるが、今回、惜しくも退役することに

これが新調したレコード・プレーヤー
最近の製品の中でコスパが絶賛されているテクニクスのSL-1200GR
カートリッジはベタにデノンのMC型DL-103
ウーハーの上部がデッドスペースになっていたので
メタルラックを設置してその上にターンテーブルを置いたが
金網の上に直置きは不安定なので板を特注

ラジオのチューナー、これもデノンのTU-1500AE
まあ、ラジオはほとんど聴かないけどなあ

現役最年長となった1985年頃購入のビクターのダブルカセットデッキ
むろん、カセットなど聴くことはもはやほとんどないけど
「多様なメディアに対応する」というのが基礎コンセプトなので・・・

今回のリニューアルで映像系とサラウンドに特化することになった
デノンのAVアンプ、AVC-4320
設定や操作が複雑すぎる

シャープ・アクオスが購入後10年でぶっ壊れたので
2015年に購入したPanasonic VIERA TH-60CX800
性能は申し分ないが、昨今のテレビの常として、画面が鏡のように反射し
観ている自分が写り込んでしまうのは本当に勘弁してほしい
なので、映画はもちろん、ドラマとかドキュメンタリーとか
映像作品的なものは、なるべくスクリーンで観るようにしている

スクリーンはKikuchiの100インチで
天井から電動で降りるようになっている

シアタープロジェクター、ビクターのD-ILA
10年くらい前は最高級機だった

掟破りのDVDレコーダー2段重ね(笑)
上段は一般録画用のSONY BOZ-ET2100
下段は全録用のPanasonic DMR-DXT3000

こちらもダメ押しの2段重ね(笑)
上段はロシアのDVDを観るために買ったサムスンのDVDプレーヤー、BD-F7500
下段は古いDVDレコーダーのPanasonic DMR-XW40Vだが
今や希少なVHSデッキを兼ね備えているので捨てられない

SONYプレーステーション3の初期型
機械としての面白さに惹かれて買ったが、ゲームは嫌いなのでほぼ放置

このように映像出力機器が多数あり
出力先もテレビ、プロジェクター(というかAVアンプ)と2つあるので
HDMIセレクターで切り替え、手前はそのリモコン

 そんなわけで、昨年11月、有給もとり3日くらいをかけて集中的に作業をした結果、我が家のホームシアターは無事リニューアルオープンした。個人的にAV機器のセッティングや配線作業は好きなのだけれど、これ実はかなりの重労働であり、同時に繊細さも要求される。重い機械を持ち上げたり、狭い隙間に手を突っ込んだりと、いつもは使わない筋肉を使うものだから、数日間筋肉痛がとれなかった。だいぶ散財もしたので、晩のおかずは当分もやし炒めだけになりそうだ。

 11年振りにAVシステムを自力でインストールしながら思ったのは、こんな風に自分で機械を動かしたり配線したりするのは、これが最後になるかもしれないな、ということ。今後AV機器を一新するような機会があるのか分からないし、仮にあったとしても、その時にはもう年齢的に、何十キロもあるような機械を自分で持ち上げたりできるとは思えない。そもそも、こんなアナログというかフィジカルな道楽の世界が今後も生き残るのかは不明であり、私自身も10年後にはAIスピーカー1つでもっぱらデジタル配信音楽を聴いているのかもしれない。もしかしたら、人生で最後の本格的な自力インストールだったのかもしれないと、そんな気がしている。

(2018年2月12日)

涙の搭乗券 ―東京~札幌便事件簿

 先月のエッセイでご報告したとおり、私は2014年に北大大学院の博士課程に入学し、3年9ヵ月の研究の末、2017年12月に博士号を授与された。

 社会人の大学院生なので、日常的に大学に通う必要はなく、札幌には年に2~3度出かけるだけだった。ただ、これは業務ではなく、あくまでも私個人の営みなので、交通費は自己負担する必要があった。そこで、なるべく割安な航空券を利用しようとしたのだが、それが裏目に出て、何度もヘマをやらかした。今月のエッセイでは、恥を忍んで、その事件簿をお届けする。

 まず、出だしからつまずいた。2014年2月、大学院の入試に臨むため(確か語学試験と面接があった)、私は羽田発・新千歳着のスカイマークを予約した。スカイマークは、ANAやJALに比べると料金が比較的手頃である。だが、札幌に飛ぶ当日、自宅から羽田にバスで向かっている車中で、まずいことに気付いた。「しまった、受験票、家に忘れてきた!」 私は慌てて、羽田から自宅に取って返し、受験票をピックアップして、再び空港に向かった。当然、当初予約していた便には乗れず、1つか2つくらい後のスカイマーク便に変更を余儀なくされた。むろん、追加料金発生である。実際には、大学院入試は人数が少なく、お互いに顔見知りでもあるので、受験票がチェックされるような場面はなかったのだが、ただ当方は社会人として試験に臨んでいるので、「受験票忘れました」などということになったら常識を疑われかねなかったので、やむをえなかったと思う。

 次のトラブルは、確か2015年のことだっただろうか。前回のスカイマークのトラウマがあったので、今度はANAを利用することにした。ANAでも、早目に手配をすれば割引があるので、万全を期して、なるべく早く予約をしておいた。ところが、札幌に出かける前日になって、とんでもないことに気付いた。ANAとエア・ドゥの両方から、搭乗確認メールが届いたのである。記憶が定かでないのだが、「いくつか見比べて、安いところを選ぼう。割引を適用してもらうため、なるべく早く申し込まないと」と焦るあまり、私はANAとエア・ドゥの両方を予約してしまい、しかも購入手続きもしてしまったようなのである。まったくもって、ボケているとしか言いようがない。ANAとエア・ドゥはコードシェアをしているので、先方が気付いてくれてもよさそうなものだが、1つの便をANA、別の便をエア・ドゥで買ったので、重複購入が成立してしまったのだろう。この時は確か、一方の便をキャンセルして返金してもらったが、前日だったのでわずかなお金しか戻ってこなかった。トホホ。

 さて、2017年8月末に博士論文を提出し、10月に口頭試問を受けることとなったので、私は今回はLCCのバニラエアを選択し、口頭試問当日の便で札幌に飛ぶことにした。LCCのバニラエアは羽田ではなく成田発着であり、しかもターミナルは駅からだいぶ離れており、30分前までにチェックインを済ませなければならないので、乗り遅れのリスクが高い。ただ、私の自宅は京成線沿線で成田へのアクセスがかなり良いし、事前に乗る電車の空港到着時間などを入念にチェックして、早起きして空港に向かったつもりだった。しかし、電車で空港に近付くにつれ、「あれ?」と思い始め、青ざめていった。冷静に考えてみると、私が空港に着く時間は、ジャスト、搭乗締め切り時間だったのである。LCCの発着する第3ターミナルは、電車の駅から20分くらいはかかるので、これは絶対に間に合わない。入念にチェックをしていたはずが、何をどう間違えたのか、まったく間に合うはずのない電車に乗ってしまったのである。「もしかしたら、バニラエアのフライトそのものが遅れることもあるかもしれない」と、一縷の望みを抱き第3ターミナルに走ったが、こんな時に限って、飛行機は定時運航で、チェックインカウンターはもぬけの殻だった。予約していたバニラエアは、当然パアになった。まあ、この時は、2時間後くらいに出るジェットスターをスマホですぐに手配できたので、損害は1万円くらいで済み、結果的に口頭試問にも間に合ったが、「また、やっちゃった」という苦い思いばかりが残った。

 その口頭試問にはパスして、博士号を授与していただけることになり、私は2017年12月の学位授与式に出席するため、大学院生として最後の札幌出張に向かうことになった。学位授与式自体は10分くらいで終わってしまうものなので、それだけのために札幌に行くのももったいないような気がして、先月のエッセイで述べたとおり、卒業旅行と早目の冬休みを兼ねて、登別温泉で2泊ほどして骨休めすることにした。東京~札幌間の航空便で何度も失敗しているので、最後だけはミスしないよう、宿も飛行機も早目に手配し、慎重を期したつもりだった。最後は、ご褒美的な意味合いもあったので、LCCではなくANAを選んだ。ところが、またしても凡ミスが発覚する。新千歳から羽田に帰るフライトを、間違えて1日早く手配してしまっていたのである。それに気づいたのは、出発の直前だった。早割なので、便の変更は不可であり、結局当初購入していたチケットはキャンセルとなってごくわずかしか返金されず、新たに別の便を買い直すハメになった。

 そんなわけで、私の大学院生活は、最初から最後まで、航空便絡みの失敗に彩られたわけである。まあ、どう考えても、すべて完全なる私のミスであり(笑)、間抜けとしか言いようがない。東京~札幌間は、エアラインはよりどりみどりであり、賢く振る舞えば安く抑えることは可能なのに、私は失敗を繰り返して、その都度追加支出を余儀なくされた。ただ、それと同時に思うのは、航空会社と乗客の、非対称的な関係である。乗客は、一分一秒でも遅れたら、その便には乗れず、早割やLCCならチケットはドブに捨てることになる。それに対し、航空会社は、遅れるのは日常茶飯事であり、欠航にでもならない限り、返金はしないだろう。よく考えてみると、理不尽この上ないことではあるまいか。

(2018年1月14日)